祝福される存在

奏が生まれて、二つの家族の距離が近づいたような気がする。離れていたということではなく、今までもいい関係だと思っている。
でも、奏を通じて1つの輪の中に二つの家族がいるような感覚があるんだ。

自分の両親は、何でもいいから写真をちょくちょく送ってと言ってくるくらい孫を可愛く思ってくれている。さほちゃんの両親も孫と会う時はとても優しい笑顔でだっこしてくれているし、僕らのことも気遣ってくれている。この熱量が同じくらいに感じて、同じ輪の中にいるなと思ったんだ。両方の血を継いでいる奏ちゃんだから、できたんだ。

こんなに周りの人に祝福されている存在ってすごいと思うけど、世の中の大多数の人は、この時期を過ごしてきているはず。両親や家族の温かい気持ちに包まれて大きくなってきている。それをやってもらったことを時々は意識していこうと思う。

親が面倒に感じることもある。自分を大事に思ってくれる人なんていないと思うこともある。でも、大事に思って、育ててくれた人がいたから、今ここにいることができている。あんな赤ちゃんが誰かに助けられずに生きていくなんて無理だから。
生まれてきたことを祝福されて、周りの人を笑顔にしながら、大きくなっていくんだ。恩返し、親孝行と言うけれど、それがなかったからと言って怒る親はいないと思う。親孝行してもらうために育ててきたわけじゃないんだと思う。自分の子供はかわいくて仕方がないんだ。

イラっとすることもあるけれど、大体はかわいいし、大事に思ってるんだ。

まだ親になって一カ月だけど、子供の可愛さと、親が優しく接してくれることを、どれだけ当たり前に思っていたかを実感する。特別なことだったんだ。

奏が繋いでくれた、この家族の繋がりを楽しんで行きたいと思う。これからも変化していくだろうし、今は今しか楽しめない時間なんだ。

赤ちゃんは周りに祝福されるけど、周りの人をいい気持ちにもさせている。ありがとう奏ちゃん。あなたのおかげで、とてもいい感じだよ。